紡ぎ車と世界の原毛アナンダ

インドでの体験

インドでの体験。かなり開放的な雰囲気の小さな町の小さな宗教施設。 砂岩で建てられた、明るいベージュ色の、あれは多分、カシミールあたりによく居るイスラームの一派の人たちのモスクだったのだろうと思うが、太鼓の音に合わせて十人くらいの信者が輪を作って歌っていた。

インド人の友達と一緒だったので、その歌詞の意味を聞くと、友人は聞き ながら一言一句訳してくれた。「お前たちは神様のことは忘れて居ても 良いよ」「神様はお前たちのことを、一瞬たりとも、決して忘れる事はないのだからね」と歌って居るのだそうだ。えっ?「神を忘れるんでないぞ」と歌って居るのではないの?「忘れていて良いよ」と歌って居るの?!と驚いた。そう言えばイスラームはキリスト教から進化して(?) 神を描いたり彫像にしてはいけないのだ。神は理想像となって、人を支 配し始める。イスラームの印象は日本にはアメリカ経由でニュースが来るので、実際に彼らと付き合うまでは印象が違った。人は群れをなして、それぞれ特有の雰囲気、価値観、などの空気を吸って生きて居る。特に周囲と交流の少ない島国の日本人は意識して外に出て体験するべきではないか。自分が、もし、池に住んで居る一匹の魚だったとしたら、生まれつきその水の中に居るのだから、水の存在さえ意識することはない。一度でも自分が、どこか他の池の水を吸って味を体験すると、とても大きな感動だって得られることがある。これは話しても通じない。違う池に連れていかなければ無理だ。産業経済社会に生まれた日本人は子供の頃から生産性向上を狙いとした育て方が池の水だ。ほんの少し昔の奴隷社会に生まれた奴隷の子は幼児の頃から服従教育。褒められたり叱られたり、おだてられたりいじめられたり。生まれた時からすで に奴隷として生きる目的があるので指導者の「評価基準」も当然それ。その池の水の中で生きて、・・・つまり、全てに点をつけられて、少しでも高い値段の奴隷に育つ。その教育の狙いはかなりずる賢く進化して来て居る。奴隷制社会は過去のもの。が、最近のニュースで、学校の 教師と副教師の指導で、生徒が自殺した。他に多くの子供達が学校生活が原因で自殺して居る。

分業化による生産性向上の社会は、個人を優劣に分類する評価社会。この評価社会が高度生産性の仕組み構築には欠かせない。その池の水の中に生まれ、そこで、みんなが生きて居る。歴史と現実の大勢の人口の生存が関わって居る、その教育関係者を、親も含めて、良いの悪いのと責められない。だが、生産性は低くても、個の自立と尊厳、自分が自分のように生きる大事な権利については、他の池に出向いて、そこの水をよく味わって、自国の水の味を、もっと意識すべきではないか。




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